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≫☆入口☆≪
No493-03/08 00:57
男/PON@ダイナマイト
PC-83AFDosV
極秘に成立していた薩長同盟。これを知らない幕府は、再度長州に対して軍事行動を起こします。しかし、高杉らの指揮の下に軍備を整え、軍制を改革した長州は、今度は真っ向から幕軍と激突。ついに、幕府に対して全面的勝利を収めます。
幕府側は、この敗戦に加え、十四代将軍家茂が病死。「最後の将軍」慶喜が就任します。さらに、孝明天皇が崩御。この孝明帝、実はなんと、佐幕派でした。
No492-03/08 00:56
男/PON@ダイナマイト
PC-83AFDosV
そして、このルートをきっかけに龍馬は完全に薩摩と長州とを和解させようと奔走。ついに、薩摩の西郷隆盛と長州の桂小五郎というトップ同士の会談をセッティング。会薩同盟による、蛤御門の変、長州征伐を根に持つ桂を説得する一方、西郷に対しても長州との同盟の必要性を説き、ついに薩長同盟を締結させます。
龍馬、マジでスゲー!
ちなみにこの薩長同盟、極秘中の極秘事項とされ、幕府、会津勢はもちろんのこと、薩摩、長州、土佐でもほんの数名しか知らないというものでした
No491-03/08 00:56
男/PON@ダイナマイト
PC-83AFDosV
この亀山社中、結果として、敵対関係になってしまっていた長州と薩摩とを結びつけるのに重要な役割を果たすことになります。
どういうことかというと、軍事的敗北によって勢力が急激に縮小した長州に、薩摩名義で軍備を整えるルートを亀山社中が確保し、同時に薩摩に対して長州が兵糧を供給するという、長州−薩摩間のネットワークの中心になったことです。
龍馬、すげー。
No490-03/08 00:55
男/PON@ダイナマイト
PC-83AFDosV
しかし、江戸で幕府軍艦奉行勝海舟と出会い、諸外国に対抗するための開国主義を叩き込まれ、単純な攘夷思想を放棄します。
龍馬は勝の肝煎りで開設された「神戸海軍操練所」の塾頭に就任。ここで、海運や海軍についてのノウハウを獲得します。これは、
ちょうど長州派が京都から追い出されているころでした。
そして第一次長州征伐後、薩摩藩などの援助を取り付けて、日本初の株式会社といわれる「亀山社中(かめやましゃちゅう)」を設立。有力藩からの資金援助を受けて、貿易・海運業を営む組織です。
No489-03/08 00:54
男/PON@ダイナマイト
PC-83AFDosV
このころ、幕末史上で最も有名な男が、多方面に渡って大活躍をします。
坂本龍馬です。では、ちょっと龍馬について詳しく見ておきましょ。
坂本龍馬は、土佐藩の郷士(下級武士)の生まれで、土佐藩内の攘夷志士の集団、「土佐勤皇党」出身の志士です。土佐藩は、維新期を通じて上層部が佐幕と勤皇との間で行ったりきたりするんだけど、下層部はこの「土佐勤皇党」を中心に、過激攘夷派が活動する変な藩でした。
で、龍馬は土佐勤皇党に属するんだけど、上層部の風向きが佐幕に傾くと脱藩。晴れて(?)浪士として活動を開始します。
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