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≫☆入口☆≪
No162-01/31 23:05
男/PON
HI31-vOuWkmku
しかし、飛び出してはみたものの、何の後援もなく京都でブラブラしていても仕方ない。そこで、芹沢のコネがあった会津藩に接触。会津藩主松平容保が、将軍と一緒に京都に来ていたし、「京都守護職」という、新しく出来た警察みたいな組織の長官に任命されてたからね。
「目には目を、浪士には浪士を」ってんで、わりとトントン拍子に話は決まり、芹沢・近藤派は晴れて会津藩の援助を取り付ける。実質的に、
「会津藩御抱・新撰組」が誕生するわけです!
あぁ、長かったなぁ…w
No161-01/31 23:00
女/いわ
D900i-CbckDSS8
うおぅΣ( ̄□ ̄;)めっちゃわかりやすい!
ありがたや〜
ありがたや〜
(-人-)


箱主からは今んとこ質問ないです(゚∀゚)
No160-01/31 22:58
男/PON
HI31-vOuWkmku
しかし、この浪士組の清河がとんだ食わせ者。
「将軍を守るため」と言って募集した浪士たちを引き連れて京都に到着すると、
「やっぱ攘夷だよ!幕府じゃ頼りになんねーよ!」と言いだし、幕府を裏切ってしまいます。清河は、浪士を集めて京都に行く口実が欲しかっただけらしい。
しかし!近藤さんたちは違った。一本筋が通ってるというか田舎者だからガンコだったのか、
「話が違うじゃねーか!」と清河派から飛び出します。この時、さっきチラっと名前の出た芹沢も近藤に同調。芹沢は部下が多かったので、この芹沢・近藤派も結構な数に。
No159-01/31 22:49
男/PON
HI31-vOuWkmku
江戸では、大混乱の京都を何とかしようと、将軍が直接京都に向かうことを決める。このときはまだ慶喜ではなくてその前の家茂(いえもち)なんだけど。
慶喜、そして容保たちは、将軍を補佐するためについていくことに。そして、その将軍の京都行きのためのガードマンを募集する。
その募集に応じたのが、清河八郎(きよかわ・はちろう)や芹沢鴨(せりざわ・かも)。彼ら幕府派浪士が「浪士組」を結成するとき、多摩の田舎道場主が門下生を引き連れて参加。これが近藤たちなのですよ。
No158-01/31 22:40
男/PON
HI31-vOuWkmku
このデモ=テロが、幕府寄りの意見を持ってる学者や有力者を脅迫したり暗殺したり、どさくさに紛れて「攘夷御用金」という名目で強盗したりとエスカレート。この時さかんに使われたのが「天誅」という言葉。
そしてこの攘夷運動は、天皇の周りの貴族(公卿・くぎょう)たちも巻き込む。
脱藩浪士たちは公卿に献金することで近づき、天皇の周り(朝廷)を段々と反幕府的にしていく。
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