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≫☆入口☆≪
No102-01/30 10:15
男/PON
HI31-vOuWkmku
ずっと鎖国をしていた日本人は、突然やってきた外国人(ペリーとか)が怖かったわけです。実際、もし日本が弱い国のままだったら簡単にやられて植民地にされてしまう。
さらに、外国についての情報がほとんどなく、ワインなんかは獣の血だと信じられていた。日本には動物を食べる習慣がほとんどなかったから、獣の肉を食べて獣の血を飲む外国人は、昔話に出てくる鬼のように見えたんでしょう。
つまり、日本人はみんな、殿様から農民に至るまで、外国に対して強烈な恐怖感を持っていたんですね。
No101-01/30 10:05
男/PON
HI31-vOuWkmku
ついでにもう一つ。
「尊皇・攘夷」って言うのはそれほど特別な思想ではなかったんです。長州、薩摩はもちろん、新撰組も、その直接の上司だった会津も、幕府もみんな「尊皇攘夷」。
これは、「大切な天皇陛下の国である日本から、外国人を追い出そう」っていうことで、幕府を倒そうという危険な革命思想ではないんですね。
長州や薩摩の思想は「勤皇」と言われてます。これは、「攘夷(つまり外人をやっちける)ためには幕府では力不足だから、天皇を中心にもう一度日本をまとめ直そう」という思想です。
No100-01/30 10:00
女/愛子
HI31-Jo9cRqx4
おはよう〜スレとは関係ないけど休みだから下北に遊びに行ってきます
No99-01/30 09:56
男/PON
HI31-vOuWkmku
さらに、新撰組が出来たころは、勤皇派の長州がブイブイいわせてた時期です。
なので、徳川幕府としては、なんとしても長州の力を押さえたい。だから、農民とか町人の出身(つまり侍ではない)である近藤たち新撰組も、比較的簡単に幕府に雇ってもらいやすかったって事情があります。
近藤は、当時の感覚として、幕府のもとで侍に、そして大名になりたかった。戦国時代のような感覚だったと言われてます。
気分的にも、周りの空気的にも、新撰組はこうして相思相愛のかたちで幕府側についた、という流れでだいたい合ってると思います…
No98-01/30 09:46
男/PON
HI31-vOuWkmku
つまり、明治維新っていうのは内乱とか、革命とか言われる国内戦争だった。
新撰組は、幕府側に味方します。その理由は、新撰組のメンバーが主に幕府のすぐ近くの関東出身だったこと。特に、近藤勇とか土方歳三、沖田総司なんかは東京多摩地区の出身。
これって今の感覚では分かりづらいかもしれないけど、当時は車も飛行機も新幹線もなかった。もちろん電話も、テレビもない。日本は、現代よりも感覚的にすごく広かったわけです。
きっと近藤たちにとって、遠い九州の薩摩なんて外国みたいなものだったんだと思ってます。
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