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≫☆入口☆≪
No115-07/10 21:43
男/はまなみ
HI31-Sbj7bNlI
加害者の生活を保証できないなら、法律で罰を与える意味がないのです。被害者の親族が直接加害者に危害を与えるなら法律はいりません。全ての犯罪者に被害者のかわりに罰を与える。それが法律です。一度罰を受けた者に因果はありません。ですから、法律は皆の納得のいく形にしなければならない。しかし、全ての意思にそった法律は難しい。法律は今だ進化の途中です。
例えばです、加害者を被害者の親族が殺害したとしましょう。そうしたら、被害者の親族も裁かなければなりません。暴行であれ、中傷であれ。
No114-07/10 21:42
男/梨元
SA31-2P8k3c3Q
トラウマを抱えた加害者の生活保証の事ですが。

逆に聞きたいのですが、現状では被害者の怪我や生活の保証もされて無いのが現実です。

ですが、加害者は寝食を保証され資格まで取らせて貰い。十二分な人権や社会的援助が保証されてます。

危惧する事は冤罪での問題だけであって

私は思いますが、罪人に人権や社会的援助を保証するなら被害者の方を優先するべきでは?

恐縮です。
No113-07/10 21:35
男/はまなみ
HI31-Sbj7bNlI
いくら法を厳しくしようと、犯罪をおかす者はいる。それは歴史を見ればわかることだ。
人は全能じゃない。だからこそ、人は人を裁く資格がない。それを理解したうえで、人はルールを作る。曖昧なのはしょうがないのでは。ましてや少年を裁くとなれば。明日は我が身とゆう言葉もありますし。
確かに今の法は変えたほうが良いかもしれません。しかし、問題視するべきは法では無く人の本能でしょう。
人は知恵を持って文化を作り上げた。なのに、一番原始的な恐怖心にモラルを叩き込むことは、人が人であることの否定です。
No112-07/10 21:30
男/梨元
SA31-2P8k3c3Q
それが因果応報って事では?

被害も一生トラウマを背負って生きるのだから、それこそ

目には目を歯には歯を
の実践でしょう。
等価の最小限の報いを受けさせる。

当然の事では?

恐縮です。
No111-07/10 21:17
男/はまなみ
HI31-Sbj7bNlI
例えば加害者にトラウマになるようなことをした場合、その後加害者の生活の保証はできるのでしょうか?罰とは与えることによって罪を無くす意味がありますね。
暴力事件を起こし捕まった少年に、二度と暴力を振るわないようトラウマを植え付ける。罪を償ったものの、社会に出れば白い目で見られ、酷ければ被害者に暴行を加えられる。人は弱い人間に対して強くなる、その事実は変わらないでしょう。暴力を振るっていた者が暴力を振るえなくなれば、次は被害者になる。
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