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≫☆入口☆≪
No837-01/29 19:34
女/いわ
D900i-CbckDSS8
で、話を元に戻しますが、8代将軍ね(・ω・)
この人、子供がいなかったんだと。だから時期将軍は弟にやろうとしてたんだって。ところが弟にやろうと決めた次の年、晴れと我が子が生まれ、生まれたならばこの子が時期将軍だべ?えー去年の約束は?と、なったみたいです。
で、将軍の跡取り問題、それと同じ頃さっき出てきた三管領のシバさんと畠山さんの家の中でも管領の跡取り問題が浮き上がってしまいました。
ここで、少し前から細川さんと山名さんが対立していたんだけど、それに皆のっかっちゃったみたいです。
No836-01/29 19:27
女/いわ
D900i-CbckDSS8
で、また別の話で各地に「守護大名」つーのがいて、この人達が力つけていったらすいです。
守護大名つーのは「守護」職という、土地を守る警察官みたいな権限を持っていて、これは初代征夷大将軍源頼朝さんがつくったらすいです。
初めの内の「守護」さん達は武士だったんですが、時代の流れとともに立場が偉くなって「守護」「大名」あわせて「守護大名」となったそうな。
「大名」となった守護大名は、自分達がかつて武士でしたが、自分達の下にも武士をつかわせ、ま、バディガードを雇いだしたみたいな感じでしょうか。
後の下克上関係ですね
No835-01/29 19:20
女/いわ
D900i-CbckDSS8
で、Aについて。
これは応仁の乱をそのまま流れにまかせて読んでいくとちょっとわかりました。
まづ、室町幕府の8代将軍の足利さん(名前忘れた)
彼、どうやら就任当時は政治を頑張ってたみたいですが、その内嫌になったのか(どうかはわからない)夫人や側室などにまかせちゃったんだと。
と言うことはさっき出てきた「管領」という役職の人も、このころ将軍に代わって政治を頑張っていたのかもしれませんね。
んでもって、政治が少しおざなりになったのでしょうか、一揆などがたくさん起こったらすいです。
No834-01/29 19:13
女/いわ
D900i-CbckDSS8
その三管領が
○欺波さん一家(しばと読む、しかも漢字違う)
○細川さん一家
○畠山さん一家
なんだと。
で、彼らは時の将軍「足利さん」の一族なんだとさ。
一族て事は昔々足利さん一家だったという事ですかね?
で、この三管領の三人が「管領」という役職に交代で選ばれていたんだって。
と、ここまでしか調べがつきませんでしたが、将軍跡取り問題に、将軍を補佐する役職である管領の人が関わったてのも少しだけ納得できそうです。
No833-01/29 19:06
女/いわ
D900i-CbckDSS8
では@についてですけど、これはすいませんm(__)mあたしが勝手に勘違いしていました。
「管領」は「かんれい」と読むらすいです。勝手に「かんりょう」と読み、勝手に領地を管理するという意味にとらえてました。
違いました(恥)
「管領」は「役職名」だそうです。せっかくやす教授が教えてくれたのに基本的な事知らなくて申し訳なかったとです(゚▽゚)ごめんね
「管領」とは、将軍を補佐して政治全般を取り締まる役職、なんだそうな。
んでね(・ω・)
「三管領」つー、まぁ何というか「管領御三家」みたいな感じの三人がいたんだと
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