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≫☆入口☆≪
No443-02/24 05:15
女/いわ
D900i-CbckDSS8
命と心、どちらが大切かはなんとも難しいテーマですが、サムライは心を大事に生きてきた人種として、箱主はそのサムライ達をお慕い申しているのでした
おしマイケル♪
もうそろそろマイケル語しつこいね(゚∀゚)
No442-02/24 05:13
女/いわ
D900i-CbckDSS8
はいっここなんです
(・ω・)ノ
「武士の情け」というんでしょうか?
このような事から(他にも理由はたくさんあるけども)箱主の中のサムライに対するイメージは、命よりもその人の魂や心、気持ちや志、誇り、誠、つーものを大事にしてるように感じられ、たとえ敵であろうとも辞世の句を詠ませてやろう、その句を○○さんに届けてやろう、みたいな心遣いが垣間見られ、サムライ魂というものの魅力が伝わってくるのでございます(-ω-)ノ
No441-02/24 05:03
女/いわ
D900i-CbckDSS8
これらの句が現代に伝わるということは、誰かがその紙を大事に保管したのよね?(・ω・)
保管してたっつー事は、その人に深い情を持った人がいたっつー事で、その気持ちわかります(-ω-)b!!
しかし、更に考えると、その深い情を持った人の手元まで送った人がいるわけで、その送った人ってのは、辿っていくと、辞世の句を書いて死んでいった人のそばにいたって事になるよね?Σ( ̄□ ̄;)
たとえば処刑で殺された場合、処刑した人が辞世の句を受け取るわけですね
戦で殺される、または自害する場合、敵が辞世の句を手にするんだよね?
No440-02/24 04:55
女/いわ
D900i-CbckDSS8
「吉野山風に乱るるもみじ葉は我が打つ太刀の血煙りと見よ」
(毎年吉野山に秋が来て赤いもみじが風に舞い乱れたら、この吉村がまだ幕軍と戦っているのだと思い出してくれ)
他にも、あらゆる状況で、死を覚悟したサムライ達が辞世の句を詠み、それが現代にも伝えられているらしいのです。
はい、ここ!注目!
辞世の句ってのはね、紙に書く人もいれば、口頭で伝える人もいたようです。戦で死を覚悟していたサムライなんかは懐中に辞世の句をしたためた紙を入れといたらしいです。
No439-02/24 04:47
女/いわ
D900i-CbckDSS8
しかしながら箱主は、サムライというものに憧れ、お慕い申すのであります。(〃ω〃)
ちょっと話飛びます
吉田松陰先生という方がいました。
この方、安政の大獄で斬首刑になったらしいのですが、辞世の句を残しています
「身はたとえ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」
(この身はたとえ、この武蔵の野辺に死に絶えても、私の大和魂はいつまでもこの国で生きていくのだ)
また、吉村寅太郎というサムライ。この方は倒幕の戦で、敵の幕府軍に囲まれ絶体絶命。自害します。
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